Work & Business
2010年11月20日号

仕事に命をかけて Vol.33

陸上自衛隊 中央即応集団司令部
防衛部副隊長 2等陸佐
小倉 博之

 文字通り、仕事に自分の命を賭けることもある人たちがいる。一般の人にはなかなか知られることのない彼らの仕事内容や日々の研鑽・努力にスポットを当て、仕事への情熱を探るシリーズ。

 今回紹介するのは、2007年に陸上自衛隊に創設された、中央即応集団(CRF)司令部防衛部に所属する、小倉博之2等陸佐。部隊の運用や教育訓練を行う防衛部の一員として勤務する一方、国際任務の現場でも活躍。今年1月には国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)に参加した。

(取材/種藤 潤)

安全保障環境の変化に対応する陸自第6のメジャーコマンド

 中央即応集団(CRF)の成り立ちは、日本周辺の不透明・不確実な安全保障環境、世界的に軍事力の役割が増大する傾向を踏まえて2004年12月に策定された防衛大綱に由来している。

崩れかけた幼稚園の建物を解体する様子。危険性のある建物の瓦礫除去は重要な任務

崩れかけた幼稚園の建物を解体する様子。危険性のある建物の瓦礫除去は重要な任務

 このなかで示された防衛力の役割を具現するため、国内においては機動運用部隊や各種専門部隊を一元的に管理するとともに、事態の拡大防止等のための部隊を迅速に展開できるよう、また国外においては部隊を迅速に派遣できるよう、陸上自衛隊(以下、陸自)各方面隊と並列した第6のメジャーコマンドとして、CRFは創設された。

 第1空挺団、第1ヘリコプター団、中央即応連隊など、CRFに従属する部隊は関東一円に配置。小倉2佐はこれらの部隊の運用や教育訓練を行う防衛部に所属している。

 活動は大きく二つに区分される。ひとつは、国内任務。ゲリラや特殊部隊による攻撃等が起こった場合に従属部隊を派遣して事態の拡大を防止する。もうひとつは、国際任務。国際平和協力活動等に際して、陸自の全派遣部隊を指揮する。小倉2佐は今年1月に調査チーム要員として出国し、引き続き3月まで国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)にハイチ派遣国際救援隊の副隊長として参加した。

 

あらゆる事態に対応する能力がCRFでは求められる

現地メディアの取材にも対応。平和維持活動は現地での注目も高いようだ

現地メディアの取材にも対応。平和維持活動は現地での注目も高いようだ

 今でこそ国際平和協力活動等は自衛隊の本来任務と規定され重要な役割となっているが、小倉2佐はそれ以前から国連本部での勤務、東ティモール、イラクへの派遣など国際任務の経験を積んできた。

 「入隊当初はさほど国際活動に興味は持っていませんでしたが、現場を経験するにつれ、その重要性や求められるものがわかってきましたね」

 そんな国際貢献のエキスパートは、「臨機応変」が国際任務における重要な要素であると力説する。

 「国際貢献においては同一の活動環境は存在しません。枠組みや脅威の性質等、千差万別であり、過去に得た経験やノウハウがそのまま適用できるわけではないのです。過去の教訓は念頭に置きつつ、その時々の状況を理解し、これに応じた最適の要領を案出することが必要です」

降雨により破損してしまった排水施設もあった。写真はその排水施設修理の状況

降雨により破損してしまった排水施設もあった。写真はその排水施設修理の状況

 CRFの先遣隊としての主な業務は、主力の宿営地設置等活動基盤の確立のほかに、崩壊した建物の瓦礫の除去や道路の補修など。しかしMINUSTAHでは宿営地の確保、派遣隊の現地IDの発行、輸送インフラの整備など、活動前の事務処理を10日足らずで行わなければならなかった。そうしたあらゆる事態に柔軟かつ迅速に対応する能力が、CRFには求められるという。

 

国際貢献の現地では常に「戦場にいる」意識を持つ

上の左から二番目が小倉2佐。派遣当初は頭髪を洗えない状況を予測し、この髪型にしたという

  「ハイチの情勢は全般としては安定していました。ただし、大地震で倒壊した刑務所から逃走した脱獄囚は全て捕えられたわけではありませんし、ギャング団等もまだ存在しています。我々の活動の間もハイチの復旧は徐々に進んでいましたが、それはギャング団等もその勢力を回復しつつあることを意味しています。これを踏まえ、当時の隊長は“今は戦場にいると思え”と指導していました。このような認識はどのミッションにおいても必須だと思います」

 今後は、ハイチよりも治安面の不安がさらに大きい地域への派遣にも対応を求められる可能性があると、小倉2佐は語る。

 「ハイチより情勢不安定な状況で活動している国連ミッションもありますが、常に即応性を保持して任務に対応するのが我々CRFの要員の任務です。派遣要員に指定された者は皆いつでも活動地域に展開できる状態を維持しています」

 国際任務への要求がある限り、小倉2佐を含めたCRF隊員の緊張の日々は終わらない。

 

[プロフィール参照]

<プロフィール>

1965年、岐阜県生まれ。防衛大学卒業後、陸上自衛隊 第10特科連隊(豊川)に配属。その後東ティモールPKF司令部、イラク復興業務支援隊、国連本部平和維持活動局などを経て、2008年より現職。