
仕事に命をかけて Vol.27
陸上自衛隊第1師団第1特殊武器防護隊
除染小隊長・3等陸尉
高橋 厚夫
文字通り、仕事に自分の命を賭けることもある人たちがいる。一般の人にはなかなか知られることのない彼らの仕事内容や日々の研鑽・努力にスポットを当て、仕事への情熱を探るシリーズ。
今回は、練馬区北町にある陸上自衛隊練馬駐屯地の第1特殊武器防護隊に勤務する、高橋厚夫3等陸尉。NBC(核・生物・化学)兵器によって汚染された地域を偵察し、汚染された人員・装備品および地域の除染をする、「防護」のエキスパートをご紹介する。
(取材/袴田 宜伸)
各師団に1つずつしかない“虎の子”の部隊
東京第1陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)の練馬倉庫だった練馬駐屯地には、「政経中枢師団」として主に1都6県の防衛、警備、災害派遣などを指揮する、第1師団司令部が所在。

現場で身にまとう化学防護衣
そのほか、第1普通科連隊、第1後方支援連隊、第1通信大隊、第1偵察隊、第1音楽隊、第1師団司令部付隊などに加え、全国の15師団・旅団に1つずつしかない“虎の子”の部隊も配置されている。
それが、第1特殊武器防護隊。NBC関連の事件・事故の発生時に、最前線でその防護にあたる部隊である。
今年3月に第1化学防護隊から改編された同隊は、2つの部隊で編成。1つは「偵察部隊」で、有事の際に化学防護車などでいち早く現場に駆けつけ、被害規模や汚染状況を調査し、毒物を判定する。

隊員の命を守る防護マスク
収集された情報に基づき、投入する部隊の規模や資器材などを隊長が決定するのだが、その指揮の下、現場で活動するのが「除染部隊」だ。
放射性物質や有毒化学物質などで汚染されていると、いかに精鋭の部隊といえども現場でフルに活動することができない。
このため、後続の部隊が存分に活動できるように、そして多くの人命を救うために、危険を顧みることなく防護マスクや化学防護衣を身にまとって現場に入り、除染剤などを散布して毒物を無毒化するのである。
仲間と信頼し合って任務にあたることが大事

除染剤を散布する携帯除染器
第1特殊武器防護隊は、地下鉄サリン事件や東海村の臨界事故にも出動(当時の名称は化学防護小隊)。
こうした事件や事故が起きるのはまれで、いつ起こるかも知れないが、しかし万が一の事態が起きた時には尖兵役として「即動」するために、高橋3尉らは、常日頃から準備している。
「第1特殊武器防護隊は、小部隊ですが、現場で使う資器材を多数保有しています。それらをいつでもすぐに使えるようにメンテナンスしておくことはもちろん、危険な任務にも臆することなくあたれるように、心の準備もしています」
また、出動した際には任務を完遂するために、日々教範類を読むなどして知識の向上に努め、訓練にも精を出している。
「1人では、任務を達成することはできません。有事の際には、運命をともにする仲間と信頼し合って任務にあたることが大事ですから、仲間と強い絆を築くためにも、訓練は非常に重要です」
訓練は、実戦を想定し、化学防護衣などをすべて着用して行う。
「夏場は想像を絶する暑さになるので、特に厳しさを増します。でもその分、達成感も大きいです」
即動態勢を維持し、任務を遂行していきたい

偵察や除染の際に活躍する化学防護車(上)と除染車
本来の任務からは離れるが、PKO派遣や災害派遣されることも珍しくなく、高橋3尉も、2005年に第19次ゴラン高原輸送隊に参加。国内では、阪神・淡路大震災や新潟中越沖地震が発生した際に、給水支援などに携わった。
「現地では、被災した方々に喜んでいただき、とても嬉しかったです。時に苦しい思いもしましたが、一気に吹き飛びました」
そう言って笑顔を見せた高橋3尉。最後に今後の目標を聞いた。
「これからも即動態勢を維持し、NBCに関する任務のほか、さまざまな任務を一つひとつしっかりと遂行していきたいです」
事故や事件、災害が起きないことを願いながら、今日も高橋3尉は、訓練に準備に尽力する。その額に光る汗があるからこそ、我々の安全が守られていることを、これからも忘れずにいたい。
![[プロフィール参照]](/images/201005/12_03.jpg)
<プロフィール>
1961年、新潟県生まれ。高校卒業後、第104 教育大隊(武山)を経て第101化学防護隊(大宮)に配属。1991年8月から現在の第1特殊武器防護隊にあたる化学防護小隊(2002年3月に第1化学防護隊へ改編)に異勤し、現在に至る。